「疫病が流行りしものの、今年の端午の節会も無事終わったわい。これで後は柳也大佐が月讀宮を連れて参るのを待つだけじゃ」
正歴五年の宮中における端午の節会が無事終わったことに関白殿は安堵の意を示し、ご自宅に弟君達を呼び盃に戯れておりました。
「ははっ、まったくでございます。さ、兄上、もう一献」
「うむ」
関白殿の弟君であらせられる正二位内大臣藤原道兼殿は、関白殿に相槌をかけながら酒をおつぎになりました。
「……」
「ん?どうしたのだ、道長。お前も黙っておらんで飲まぬか」
そんな中一人従二位権大納言藤原道長殿は、酒も口に為さらずに沈黙を続けておりました。
「畏れ多くも兄上、あの赤い鬼めにかの件を一任されたのはいささか早計ではないかと」
「ははっ、何を言うておるのだ道長よ。あの鬼めは今まで我々藤原北家に長年に渡り忠誠を誓っている者。よもや翼人に畏れをなし任を放棄するなどということはあるまいて」
「私が申し上げたいのは、あの鬼めを野放しするのは危険だということです。自らを鬼などと呼ぶ者を信用するなど、私には到底叶わぬことでございます」
「あやつが赤き鬼の面を被り自らを鬼と呼ぶのは、我等藤原北家が鬼をも征する家柄であることを誇示させようとする忠誠心の表われであろう。現に世の民はあやつを真の鬼であると畏れ奉り、更にはその鬼を征しておる我等藤原北家をも敬っておるのではないか」
「ですが、兄上……」
「道長! お前は兄上に意見申し立てるのか! お主は忘れたのか、花山帝がご退位為されし時のあやつの功績を!」
再三関白殿に申し上げる大納言殿に対し、内大臣殿は一喝為さりました。
「それは無論覚えてございます……。確かにあの時我等の策が成功した時の、あの鬼めの功績は無視出来ますまい……」
寛和元年文月、花山帝が寵愛為されていた弘徽殿女御様が逝去されました。そのことに花山帝は大層哀しみ、ご出家為さろうとお考えになりました。これを好機と見た関白殿等のお父上にあたります藤原兼家殿は、花山帝をご出家させ、代わりに外戚関係のある懐仁親王を即位させ賜う策を練りました。
そして翌年の寛和二年水無月、道兼殿が花山帝と共に出家為さると申され、花山帝はご出家為さるご決心を致しました。この時道兼殿は天皇を清涼殿から山科の元慶寺に向かわせ、道隆殿は清涼殿にある神璽や宝剣を懐仁親王の元へ運び、そして道長殿はこの件を時の関白頼忠殿の元へご報告に向かったのでした。
これら一連の計略が事無く実行された背景には、少なからず柳也殿のご功績がありました。当時衛門大尉であらせられた柳也殿は、事件当日宮中の夜間の警備を手薄にし、兼家親子にご協力為さったのでした。そしてこの時のご功績が認められ、柳也殿は藤原北家の厚い信頼を得、現在の衛門佐の位をお授かりになったのでした。
「然れど、やはり私はあの鬼めを信用することは叶いません。素性も素顔も明かさぬ者など何故信頼することが叶いましょう?」
「勘違いをしてもらっては困るのう、道長。儂とてあの赤い鬼めを完全に信頼しておる訳ではない。お主の言う通り、素性も素顔も明かさぬ者など完全には信用出来ぬ。
然れど、あの鬼めの力量は使える。完全な信用など必要ないのだ。用は使える者を使えるだけ使えば良いだけだ」
「その考えが浅はかだというのだ、兄上! もうよい。申し訳ないが今日はこれで退散させていただく」
あまりに楽観的な見解の関白殿に痺れを切らした大納言殿は、その足でご邸宅である土御門殿にお戻りになられました。
「お帰り為さいませ。そのお顔ですと、どうやら道長殿のご意向は兄上達には伝われぬかったようですね」
大納言殿が土御門殿にお戻りになられますと、館を警備せし一人の兵が大納言殿に声をおかけになりました。
「然り。まったく、兄上共は何も分かっておらぬ。検非違使佐であるあの鬼めが一時的に任を離れた事により、京中の警備能力は著しく低下しておる。これが奴の狙いだとは思考出来ぬのか」
「つまり、道長殿はこの機に乗じてあの鬼めが反旗を翻すとでも」
「然り。月讀宮に赴くというのは京より外に出でし名目に過ぎず、以前より共謀しておった我等藤原北家を快く思わぬ諸侯と手を組み、警備が手薄の都を一気に制圧せんと企んでいるかもしれぬ。もしくは翼人を引き入れ、かの平将門の如く新皇を名乗る算段かも知れぬ。
いずれにせよ、鎖を絶ち野に放たれし鬼は何をしでかすか分かったものではない」
翌年の長徳元年に内覧となり、政の実質的な権力を掌握し藤原氏全盛時代を築くこととなる道長殿。その目は他の兄達を遥かに凌ぐものでございました。
その慧眼なる目には、柳也殿はいつぞや反旗を翻すか分からぬ不審者として映っていたのでございました。
「では私めが”鬼退治”に向かいますか?」
「ほう。然るにあの鬼めは一騎当千との噂だ。貴殿一人では手に負えぬと思うが?」
「然れど、いくら大納言殿とは言え、鬼追従の為独断で兵を向けることは叶いませんでしょう。ならば、私一人に任せるのが良策でございましょう」
「確かに。では源頼信よ、貴殿に鬼の動向を探る命を出す。もし鬼に反旗の意志ありと分かれば、即刻鬼の首を取れ!」
「お任せあれ。この頼信、源氏の名に賭け必ずや鬼の首を討ち取って見せましょう!」
源頼信。この方こそ兵の頭領とし台頭し、後に鎌倉幕府を築くこととなる”武の源氏”河内源氏の祖。そして私や柳也殿と切っても切れぬ関係となるお方なのです……。
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巻三「日と月との出會ひ」
「つまり、貴殿が余が空を飛ぶ手助けをすると申すのか? いや、その前にお主は何者なのだ。名を名乗れ」
私の背に隠れながらも、神奈様は柳也殿に対し名を名乗るようにと仰りました。その動作がまるで母に隠れて子がわめき立てし如くで、たいそう愛らしい動作でございました。
「これは失礼致しました。まずは己の名を名乗るのが礼儀でございましたな。我は従五位衛門大佐柳也。この度帝より疫病に苦しみし民に月讀宮様のご威光を与え賜る勅命を受け、月讀宮様を京まで警護せんが為に訪れし者でございます」
「柳也か。姓はないのか?」
「そのようなもの、生まれ出ずる時より持たぬ身分故、持ち合わせてはおりませぬ」
「そうか。余は神奈と申す。京よりわざわざ出向いた貴殿には申し訳ないが、余をこの宮に閉じ込めておる者の命など聞けぬ」
どうやら神奈様は帝を好ましく思っていないようです。もっとも、神奈様を月讀宮に軟禁状態に為さっているのは朝廷なのですから、帝を好ましく思っておらぬのも無理のないことだと私は思います。
「それよりも、余は貴殿の言の方が興味ある。一体どのような手を持ちて余が空を飛ぶ手助けするというのだ?」
「はっ。そもそも空を飛ぶにはまず空に上がらなければなりませぬ。先程の月讀宮様のお姿を見ておりますと、空に上がるのに難儀していた模様。よって我は月讀宮様を空に上げし手助けをする所存でございます」
「神奈で良い。貴殿の意、一理ある。然るに、貴殿はひょとして余の飛ぼうとする姿を見たのか……?」
「然り。足元まで垂れし美しき黒髪、小振りなれど形が整いし乳房、日の光に照らされし白き羽。そのお姿はやむごとなきお美しさであり、翼人が月の身使いと呼ばれるのも腑に落ちるものでございました」
「ぶ、無礼者っ!」
どうやら神奈様は柳也殿にご自分の裸を見られたのが大層恥ずかしいご様子で、顔を赤らめながら柳也殿を叱りつけたのでした。
然るに、柳也殿の神奈様のお姿を見たご感想が私と意を同じくしたものでして、何だか私は嬉しいものがございました。
「畏れ多くも神奈様。柳也殿の手助けを乞うなれば、遅かれ早かれ生まれたままの姿を見せねばならぬのでは?」
「それは確かに……。ええい、分かったわ! 柳也よ、貴殿が余の裸を見た罪は問わぬ。その代わり余を確実に空の上に上げて見せよ」
私の進言に神奈様は頷き、顔を赤らめしまま胸を腕で隠しながら、柳也殿の前に歩み出たのでした。
「畏れ多くも、神奈様の胸は男の前で隠す程の膨らみに達しておらぬと思いますが?」
「無礼なことを申すな!」
「ほほほ」
神奈様と柳也殿のやり取りが余りに面白可笑しく、私は思わず笑ってしまいました。
「柳也殿! 余計なことを申さず早く余を空に上げて見せよ」
「然り。では……」
「ヒョイ!」
そう仰ると柳也殿は神奈様を軽々と持ち上げたのでした。その動作は、まるで父親が愛娘を抱き上げるかの如くでした。
「な、何をするか!?」
「神奈様を空に上げる為には、神奈様を持ち上げねばならぬのです。では行くますぞ!」
ブゥゥゥン!!
「ぬぅわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜!!」
刹那、驚いたことに柳也殿は神奈様を勢い良く空に向かい垂直に投げ飛ばしたのでした。当の神奈様はいきなり投げ付けられたことに悲鳴をあげながら、空の高き高き所まで上がっていったのでした。
「ふむ。我ながら随分と高くまで上げられたものよ」
「あの……畏れ多くも大佐殿。貴殿のご行為は”上げる”ではなく”投げ飛ばす”では……?」
「そうとも言うかもしれんが、結果的に空に上がれば問題なかろう」
「は、はぁ……」
図らずとも、それが十五年振りに柳也殿と再び交わした始めの会話だったのでした……。
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「う、わっ、落ちる落ちる落ちる〜〜」
ようやく上がり切った神奈様は、大地へと身を落とさぬよう必死に羽ばたき始めました。
「そうそう。人間、必死こいて一所懸命に精進すればどうにかなるものよ」
「されど、大佐殿。神奈様は人ではなく翼人でございますが……?」
「翼人であれ、”人”には変わりなかろう。仮に翼人が人より優れし者ならば、かの大空も難なく飛べるであろう」
確かに柳也殿の仰る通り、背中に羽が生えているとはいえ、翼人も人であらせられます。
然れど、神奈様は羽ばたくも空しく徐々に大地へと降下して行くのでした……。
「もう駄目じゃ……」
羽ばたき疲れたのでしょうか、神奈様は突然気を失ったかの如く羽を休め、頭を下にして大地へと勢い良く落下し始めたのでした。
「神奈様!」
「やれやれ……」
「ヒュウ!」
神奈様が落下し始めたのに驚き、私は思わず声をあげてしましました。するとその刹那、柳也殿が呆れながらも大地をお蹴りになり空へ舞い上がりました。
「……」
そのお姿に私は言葉がありませんでした。大地をお蹴り為さった柳也殿は身の丈の四〜五倍は飛び上がり、そして落下する神奈様を見事抱き上げ、再び大地へと降り立ったのでした。
「うう……」
柳也殿に助けられしものの、神奈様は未だお気を失ったままでございました。
「いやはや、これはちと悪戯が過ぎたようだな」
「あらあらまあまあ。翼人をからかうなどとは、太佐殿は随分と大それたことを為さられるお方でございますね、太佐殿は」
「いやなに、翼人と言われし者であるのに、空が飛べぬというのはいささか滑稽だと思うてな。
然るに……」
「然るに?」
「然るに、幼き娘を持ちし父親の気持ちというのは如何程のものかと、ふと思うてな」
その言葉に、私は柳也様の神奈様に対するお気持ちが集約されていると思いました。恐らく柳也殿が神奈様を空に投げ飛ばしたのは、父親が幼き娘と戯れるが如くのお気持ちだったのでしょう。
「さあ、私は女故に父親の気持ちは分かりませぬ。されど……」
「されど?」
「されど、その娘の母親の気持ちは理解出来る気が致します」
柳也殿の神奈様に対するお気持ち、それを私は悪いものだとは思いませんでした。何故ならば、柳也殿が神奈様を娘だとお思いになる限り、私は柳也殿の妻の立場でいられる気がするからです……。
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「神奈様。いい加減意地を張らずに大佐殿に会われたらいかがです?」
「ふん。誰があのような無礼極まる者と会うものか!」
柳也殿が月讀宮に訪れてから既に五日が経過致しました。神奈様はかの日に柳也殿の行いし行為に恥辱感を感じ、柳也殿に会おうとも致しません。もっとも、神奈様にとっての五日は人の半日にしか過ぎぬので、半日でお心が変わるという方が無理なのかもしれません。
「しかしのう、裏葉。あやつが本当に幼き裏葉を助けし者なのか?」
「何度も申している通り、それは間違いございません」
柳也殿は間違いなく十五年前私を助けしあの鬼だと神奈様に申し上げるものの、神奈様は一向にお信じになりません。
「されど、直に本人に聞いたのではないのであろう?」
「は、はぁ、それは……」
確かに柳也殿に直に聞き、十五年前の鬼だと確信したのではありません。あくまで邂逅せし時私がそう思っただけで、間違いである可能性も否定出来ません。故に、その点を神奈様にご指摘されますと、私は答えようがありませんでした。
「ならば裏葉よ。余の命だ。今すぐに柳也殿が裏葉を助けし鬼か否か確認して参れ!」
「かしこまりました」
当初から柳也殿と直にお話したいと思っていた私は、これは好機だと思い、神奈様の命を受け嬉々として柳也殿の元に向かいました。
「はああ〜! でぃや〜!!」
「甘い! 腰が引けておらんぞ!」
社殿の外に出ますと、意気盛んな男共の声が聞こえて参りました。どうやら柳也殿が社殿を守護せし兵達を鍛えあげているご様子です。
「参りました。流石は赤い鬼殿。その強さは尊敬に値致します」
この宮殿を守護せし兵達は、主に身よりのない者や賤民と呼ばれし身分低き者達でございました。そのような者達にとっては、素性も分からぬ身で殿上が許される位まで昇りつめし柳也殿は、正に羨望の的なのでしょう。
「畏れ多くも、大佐殿。月讀宮様を都へお連れ為さる際、我等も共にせねばならぬのでしょうか?」
「いや、月讀宮様の守護は我一人にて行う命が出されておる。よってお主等は月讀宮様がご出立為さる日に、今現在の役柄からは一時的に解任される手筈である」
「真でございますか! それは有り難き幸せにございます!」
神奈様のご出立と共に任が一時的にせよ解かれると聞きし兵達は、挙って大手を振って喜びました。
「皆解任されし事が嬉しいようだな。ならば望む者は今直にでも解任致すが?」
己の優しさからか、それとも何か腹があっての事かは存じませぬが、柳也殿の即刻解任するという言に対する皆の反応は二通りでございました。
一つは、安堵の気持ちで受け取る者。もう一つは、何かに怯えし気持ちで受け取る者でございました。
「然るに、大佐殿。そのような事を為さって月讀宮様の呪いや祟りは受けぬでございましょうか……?」
怯えし気持ちの一人の者が柳也殿にお訊ね申し上げました。恐らく、他の怯えし気持ちの者共も同じなのでしょう。そのような気持ちは、翼人という存在が畏怖する対象であるからこそ生まれ出ずるのでしょう。
「童女に等しき月讀宮様がそのような事をするとは思えぬがな。まあ良い、我がその件を掛け合ってみるとしよう」
そう仰りますと、柳也殿は一目散に私の方に向かって来ました。
「!?」
「貴方は確か神奈様に仕えし女官であったな。一つお訊ね申すが、神奈様はまだすねていらっしゃるのか?」
「あっ、は、はい。かの日の大佐殿の行いに未だ恥辱の念をお持ちのご様子でございます」
柳也殿が自分に向かって来ることに私は一瞬途惑いましたが、柳也殿に訊ねられ応じぬ訳にはいかず、何とか応じました。
「そうか。ならば済まぬが、貴方の口から希望者の社殿を守護せし兵共を今日中に解任する旨を、神奈様に伝えて下さらぬか?」
「はい。謹んでお受け賜り致します」
頼まれたからにはお断りする訳にも行かず、私は柳也様の旨を神奈様にお伝えに行きました。
「うむ、良い考えだ。どうも兵共に守護されておるのは窮屈この上ない。故に少なきに越したことはない」
どうやら神奈様は柳也殿の考えがいたくお気に入りのご様子でして、柳也殿の旨を二つ返事で了承致したのでした。
「然るに裏葉よ。あの男も一応は話が分かる者よのう」
「では神奈様。大佐殿にお会いになられたら如何でございましょうか?」
「それとこれとは話が別だ。奴が無礼な男であるのには変わりがない。少なくとも、柳也殿が裏葉を助けし者か否かが判明するまで会う気にはなれぬ」
神奈様は、柳也殿が私を助けし鬼か否かを大分お気に為さられているご様子です。それは一重に母君にお会いしたいというお気持ちから発せられているのでございましょう。私にはそう思えてなりませぬ…。
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私が神奈様のお言葉を柳也殿に伝えしことにより、希望する兵共の任が正式に解かれることとなりました。
それによる兵共の取りし態度は予想通りでございました。先に柳也殿の言葉に安堵せし者は柳也殿に頭を下げ社殿を後にし、何かに怯えし者はそのまま留まったのでございました。
「どうした? お主達は帰らぬのか?」
「は、はぁ……。月讀宮様直々の許可を得たとはいえ、やはり……」
「それ程までに月讀宮様呪いや祟りが怖いというのか?」
「……」
柳也殿の言に誰も口を開きませんでした。神奈様の世話をせし私の目から見れば、神奈様はとても人を呪い殺めしことなどを為さる方には見えません。されど、神奈様と直にお会いしたことのない人々にとっては、神奈様は必要以上に畏怖すべきお方なのでしょう。
「まあ良い。仮にそのような呪いや祟りがあるならば、この我が全て受けてたとう」
「そ、それは本当でございますか!」
「然り。鬼は呪いや祟りを畏れぬ。言葉だけで腑に落ちぬのならば、今から我がそう思う所以をお見せいたそう!」
そう仰りますと、柳也殿は辺りを見回し始めました。
「ふむ。これが丁度良いな……」
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……
大きな岩の前で柳也殿は立ち止まり、そして驚くべきことにその岩を軽々と持ち上げたのでした。
「はぁっ!」
ドビュゥッ!
そして次の刹那、柳也殿はその岩を空中高く放り投げたのでした。
ヒュッ
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄」
ドグワシャ!
それだけではありません。今度は柳也殿が放り投げし岩の高さまで飛び上がり、目にも止まらぬ拳の突きの連打で、岩を細石の大きさまで砕いたのでした。
「どうだ、分かったであろう? 我は神にも匹敵せし鬼の力を持ちし者。呪いや祟りなどはこの力で払い除けるのみ!」
『は、ははぁ〜』
怪力乱神!柳也殿の今の行動は、全てこの言葉に集約されると言っても過言ではありません。その正に鬼の如く丈夫振りに、兵達は皆々神を崇め奉る如く柳也殿に平伏したのでございました。
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全ての兵共が退散せし時、辺りは既に月が傾く黄昏時を迎えておりました。
「時に、大佐殿。何故兵共を早期に解任させたのでしょうか?」
一息着きし頃、私は柳也殿にお訊ね申し上げました。
「社殿の兵共を一回り見たが、どうも志気に欠けている気がしてな。あのような志気では仮に侵入者が現れし時、迅速な対応が取れず徒に命を失うだけだと思うてな。故に解任させたまでだ。
守護せし者は神奈様一人だけであろう? ならば都に赴くまでは我一人の守護で充分事足りる」
「いいえ、神奈様お一人だけではありませぬ……。この社殿には他に神奈様の身の回りの世話をせし女官が何人かございます。この方々は自らの力で自らの身を守れぬ者達でございます。神奈様のお命も大事でございましょうが、他の者達のお命もどうかお守り下さい……」
「そういえばそうであったな。まあ、我の腕ならばその程度守り切れぬものではない」
本当は、他の女官などどうでも良く、私一人を守って欲しいと言いたかったものです……。然れどそれはあまりに軽率なる言動だと思い、私は私情を抑えて柳也殿に語りました。
「然るに、大佐殿。その鬼の面は何故付けているのでございましょうか?」
話題を変え、私は柳也殿の付けし鬼の面に関しお訊ね申し上げました。十五年前の話をいきなり振るよりは自然な形で話題を持っていく方が良いと思い、そうお訊ね申し上げた次第した。
「時たま聞かれるな。この面の下の顔は十数年前大火傷に遭ってな。その傷痕があまりに醜き故、鬼の面を被っておるのだ。鬼の面でなくても良かろうという話もあるが、この面の方が他者に印象を与える意味では好都合であるからな」
「えっ!?」
大火傷と聞き、私は疑問を感じられずにはいられませんでした。何故ならば、私を助けし時には顔に火傷など負うてなかったからであります。
私を助けし後に火傷を負うたのでしょうか? それともあのお方であるというのは私の思い込みで、全くの別人なのでしょうか……?
いえ、別人であろう筈がございません。敢えて確認せぬとも、私には目の前にいらっしゃる柳也殿こそ、十五年前私を助けしお方なのだと確固たる自信を持って言えます!
「あら? 大佐殿の素顔を見たことがある方の話ですと、その面の下には火傷などないというお話でございましたが?」
こうなればあまり遠回りに確認するよりも直接お訊ね申し上げた方が良いと思い、私は話題を変えました。
「この面を人前で外すなど、ここ十年は記憶がない。仮にいたとしても貴方の聞き間違えであろう」
「いえいえ、聞き間違えである筈がありませぬ。何故ならば、その見たという方は童女なのですから。童女が嘘を付くなどありますまい」
「童女か。ん? 言われてみれば十年よりも前に確か……」
「その童女は母が病を患い隣村まで薬師を呼びに行く最中足を挫き、山中で母上と泣いている所を大佐殿に助けられたのです……。そしてその時このように大佐殿の広き背に背負われたのです……」
そう語り終えると、私は柳也殿の背に抱きかかる様に寄り添いました。
直に伝わって来る柳也殿の温もり。懐かしい温もりでございます……。やはり間違いありません、柳也殿こそ十五年前私を助けしあのお方なのです……。
「十五年……。そういえば十五年前であったな、山中で泣きし童女を助け、背に背負い薬師の村まで連れて行ったのは……。
時に女よ、まだ貴方の名を聞いておらぬかったな。十五年前は一期一会の出会いであろうから、聞く必要もないと思っておったが。然るに、あれから十五年も経てば童女も立派な女に成長するか……」
「私は裏葉と申します……。私のことを覚えていて下さって嬉しゅうございます、太佐殿……」
「ここは都ではない、大佐などという堅苦しい言い方はせぬで良い。柳也で構わぬ」
「お分かり申しました、柳也殿……」
ようやく会えし我が想い人。語りたいことは山程ございます。されど、今は何よりこの温もりを今暫く感じていたいのです……。
…巻三完
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※後書き
う〜ん、またしても一ヶ月近く間が空いてしまいましたね…(苦笑)。
それはさておき、今回、ようやく原作の冒頭の時間軸に追いつきました。この間までは原作の冒頭に至るまでの流れという感じです。
さて、今回の冒頭には色々と歴史上の人物の名前が出て来た訳ですが、大方の人は道長とか将門とか有名所しか知らないと思います。私自身この話を書くにあたって色々と調べて、初めて知った名前が殆どでして。
この冒頭の歴史上の人物で一番物語に深く関わるのは、作中でも述べている通り頼信ですね。「Kanon傅」や「たいき行」からの読者ならば、今までの作品に源氏が色々と関わっているのが理解出来るでしょう。
次回以降、この頼信がどう物語に関わってくるのか、楽しみにしていて下さいね。
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巻四へ
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